通常何年もかかるワクチン開発が数ヶ月という驚くべきスピードで実現したおかげで、新型コロナウィルスによるパンデミックはほぼ過去のものとなった。この舞台裏には、医薬品の製造とロジスティクスの大いなる活躍がある。
新型コロナワクチンの供給は、史上最も大規模なワクチン接種キャンペーンとなり、「世界最大のプロダクト・ローンチ=新製品の発売」とも呼ばれた。全世界で約130億回接種され、世界人口の7割が少なくとも1回の接種を受けた。さらに驚異的なのは、新種のmRNAワクチンは製造から保管、輸送に至るまで摂氏マイナス70度の冷蔵を要することがあるにもかかわらず、この偉業が成し遂げられたことだ。
「パンデミックとは、あらゆる場所に病気が蔓延していることを意味し、それはつまり、あらゆる場所に薬を供給しないといけないということです。」とNIPPON EXPRESSホールディングスの大辻智執行役員は説明する。「しかも今回のワクチンは温度管理された状態で届けなければなりません。要求される輸送量とスピードは、すべての物流業者にとってそうであったように、私たちにとっても前例のないものでした。しかし物流業界として、機敏な発想と柔軟な策を講じて、この難題に対応することができたと思います。」
例えば、NXグループを含む多くのグローバル・ロジスティクス・プロバイダーは、パンデミックの間にキャンセルされたフライトの旅客機をチャーターし、大量のドライアイスを入れた箱や保冷コンテナを使用して、ワクチンを継続的に輸送した。
幸運とも言えるのは、日本を拠点とし、総収入と貨物輸送量併せて世界第8位で、かつアジア最大のロジスティクス業者であるNXグループが、パンデミックの数年前から医薬品事業の拡大に取り組んでいたことだ。国内の医薬品業界がGDPガイドラインに準拠するニーズが高まることを見越して、NXグループは2018年から医薬品物流ビジネスに参入していた。
EUではすでに法的に義務付けられているGDP(医薬品の適正流通基準)は、医薬品の製造・配送方法に重大な変化をもたらしている。この基準によれば、流通業者は、工場から患者に届くまで医薬品とその有効成分の品質と完全性を保証することが求められる。GDPに準拠することで、偽造医薬品や窃盗といった不正行為に対抗でき、また、温度変化に非常に敏感な生物学的製剤やワクチンなどの完全性も保証されるのである。
大辻氏によれば、パンデミックが発生した時点で、NXグループはすでに日本国内に4つの主要なGDP認証倉庫を設け、医薬品用倉庫、配送センター及び専用車両のグローバルなネットワークの構築に奔走していた。また、医薬品や半導体などの繊細な製品を輸送する際に、温度、湿度、衝撃、光に至るまで一気通貫して状況を可視化するデジタル・プラットフォームの構築にも取り組んでいた。
「コロナ禍で我々のコールドチェーンの柔軟性と対応力が大いに試され、鍛えられました」と大辻氏は言う。
この経験は、ポスト・コロナの医薬品ロジスティクスの進展にとって貴重なものとなるだろう。
大辻氏は、予防医学の普及とともに、mRNA治療薬のような高度に特殊化された医薬品は、製造と輸送において氷点下での温度管理を要するため、これに対応できるコールドチェーンの構築がさらに重要になると予想している。輸送のリードタイムは短縮され、業界が開発中のIoTデバイスやAIベースのソリューションとプラットフォームを活用したリアルタイム可視化のニーズも高まるであろう。
日々進化し厳格化するGDPや各国の規制に準拠した信頼性の高いコールドチェーンを確立するためには、極めて複雑なロジスティクスが不可欠である。すべての物流会社がこの要件を満たすことができるわけではない。他方、この難題をうまく切り抜けることができる企業にとっては、成長の機会となるだろう。最近の業界レポートによると、世界の医薬品ロジスティクス市場は2022年に845億ドルとなり、2030年までの年平均成長率は8.6%と予測されている。
NXグループは、同社の持つ様々なアセット、ノウハウ、定評のあるきめ細かな品質管理を組み合わせ、この医薬品流通のシェアを拡大している。2022年3月期の医薬品物流事業の売上高は613億円(4億ドル)に達し、海外からの売上高はすでに4年前の中期目標を上回っている。同社の5つの重点産業のうち、医薬品・医療分野は特に急成長した。
2023年4月現在、同社は25カ国に35カ所のGDP認証施設のネットワークを構築している。2020年に米国のライフサイエンス・医薬品向けロジスティクス・プロバイダーの大手であるMDロジスティクスを買収することで、世界最大の医薬品消費市場においてもその存在感は高まった。今年初めには、バイオテクノロジーの集積地であるノースカロライナ州に専用倉庫を開設した。
「我々のように世界最大の医薬品消費市場である米国と世界第3位の日本に強固な基盤を持ち、この2つの市場を結ぶ一気通貫型フォワーディングを提供しているロジスティクス・プロバイダーはいないと思います」と大辻氏は言う。
同社は、すでに日本、米国、欧州へのジェネリック医薬品の輸送でビジネスを展開しているインド市場での事業を拡大し、自社の地理的なリーチを活用したいと考えている。 また製薬業界にとって重要な欧州市場については、有機的・非有機的な成長戦略を検討している。
新たなパンデミックのような潜在的なリスクも含め、医薬品における将来のトレンドに備えるには、既存の技術やネットワークを進化させ、より弾力性のあるサプライチェーンを実現する必要がある。
特に再生医療やワクチンなどの分野において、より費用対効果が高く持続可能なロジスティクスを実現するためには、NXのパートナー企業が開発しているリアルタイム・モニタリングの進歩が不可欠となるだろう。
医薬品ロジスティクスにおける環境負荷の削減も、依然として課題となっている。超低温での保管や輸送はエネルギーを消費する。いわゆる「パッシブ」包装を用いたコールドチェーン輸送であっても、再利用可能な材料を選択する必要がある。さらに、輸送中の温度をリアルタイムでモニタリングするためのIoT機器(ロガー)も、使い捨てではなく、再利用可能なものを選ぶ必要がある。NXグループは、コールドチェーンの持続可能性を高めるため、これらの素材の再利用に取り組んでいる、と大辻氏は言う。
しかし、人命に関わる製品の輸送である以上、最重視すべきは信頼性である。大辻氏は、NXグループの強みとして、エンド・ツー・エンドのロジスティクス業務全般において細部に至るまで細心の注意を払い、妥協のない品質管理を行っていることを強調する。同社は最近、グローバルな医薬品品質管理マニュアルを発行し、世界中の医薬品業界に向けた品質管理の標準化を進めている。
「日本特有の品質重視の姿勢やGDPガイドラインとの親和性の高さ、そして米国での経験を生かし、グローバル規模で患者中心の医薬品サプライチェーンネットワークを構築していきたいと考えています」と大辻氏は語る。